本尊十一面観世音菩薩

​奈良時代の仏像で脱活乾漆仏としては唯一の十一面観音像

​近年の調査で、胎内仏が発見された。

また木板に文字が書かれてあり、享保十八年に大掛かりな修理があったことが分かった。

縁起

当寺は大日山美江寺と号し、第四十四代の元正天皇の勅願によって開創せられ、開基は 勤操和尚である。本尊は脱乾漆十一面観世音菩薩にて、もと伊賀国名張郡伊賀寺に安置さ れていたのを、美濃本巣郡美江寺の里に移したものである。

この地は木曽、長良、揖斐の三大川が、あたり一帯網の目のように流れ、住民が年々洪 水に悩み苦しんだのを哀れまれて、救済のため、霊験あらたかなこの伊賀寺の本尊をお迎 え移したと伝えられる。伊賀寺には、寺、王の切願により後項の三仏を残し、名前も座光寺 と改められた。

霊亀二年(七三ハ)、元正天皇は観音の霊験を聞召され、行幸の御事あり、年号も養老と 改められたが、越えて養老三年(七一九)六月十八日、長屋王に勅して、美江寺の里に伽藍 建立を発願され、同七年七堂伽藍が出来上ったのである。

年表
719年

元正天皇勅願

723年

七堂伽藍建立

1186年

歌聖藤原定家卿が、左衛門尉則重に命じ、寺院を再興し 船木荘六郷を寄進

1506年

土岐美濃守成頼家臣十六条主和田佐渡守に命じて堂坊二十 四院を修理せしめた。

1541年

斎藤山城守道三が、岐阜城を築くに当り、近郷近在の信仰高き名 利美江寺を現在の地に移し、城下の繁栄を守護せしめられた。

1945年

岐阜空襲により、伽藍はほぼ全焼。仏像も3分の1ほどが消失

mieji

Tel: 058-262-6793

​美江寺観音

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